平成10年 創業社長逝去。(3.26 享年91歳)
平成11年 工場内の設備レイアウト大変更。

飛躍の瞬間−E

平 成 10年

創業者内山精一が逝去


石碑に込めた91年の人生哲学


石碑の除幕式であいさつする精一[平成3年8月]
自宅で石碑に刻む文字の練習に励む内山精一

 平成10年3月、内山精工は深い悲しみに包まれた。創業から66年もの間、経営の第一線にあった内山精一が91歳で逝去したのである。仕事を誰よりも愛し、亡くなる2ヶ月前まで工場に足を運んで元気な声を響かせていた精一の姿が消えた寂しさは、社員の胸にぽっかりと大きな穴を開けたかのようであった。
 専務として後を託されていた康弘も同様である。しかし、そんな感傷に浸る間もなく、康弘は4月、2代目社長としての重責を担い、受けたバトンを手に全力で走り出していた。翌年には、作業効率の向上を目指して工場の設備レイアウトを変更するなど、世紀の転換を予感させる新しい空気がみなぎっていった。
 しかし、時代が変わっても、決して変わらないもの。それは、精一が残していった経営理念だった。「企業とは、仕事を通して働く人みんなが幸せになるために努力する場所だ」「明るい心と感謝の気持ち、それに人の和がないと、自分自身の幸せも会社の幸せもない」。生前、精一がことあるごとに熱っぽく語ったこれらの言葉は、幾多の苦難を乗り越え、なめた辛酸の果てに体得した精一の人生哲学と言ってもよかった。
 精一は亡くなる7年前の平成3年、その思いを長く苦楽をともにしてきた社員、そして、次代の内山精工を担うであろうまだ見ぬ社員にも伝えたいと、正面玄関前に石碑を建てた。書家に揮毫を依頼せず、半年間、練習を重ねて自ら筆を取り、無骨ながらも精魂を込めて書きしるした。
 「感謝・心・人の和」。精一が己の人生を凝縮したかのようにしたためた3つの言葉は、今も内山精工と後輩たちの行く手を温かく見守っている。

除幕式で社員から心のこもった花束を受け取る精一

石碑の前で家族と社員一同記念撮影
社葬の祭壇には、菊の花で
「感謝・心・人の和」
の文字がかたどられた
社葬には多くの社員が参列し、
生前の精一をしのんだ
研修旅行のため、社員全員でハワイへ
[平成7年]
野球親善試合を開催し、社員同士が親ぼくを深める
[平成11年11月13日]


平成元年 富山の動き

 3月 高岡で腸管出血性大腸菌O-26感染者が100人余り
 5月 細入村「ボートピア」建設をめぐり住民投票で反対多数
 6月 富山市と周辺の小中学校で給食による集団食中毒、
      患者数1000人余り。富山-大連便就航
 7月 住博司衆院議員が死去


平成元年 日本と世界の動き


 2月 長野冬季オリンピック開催、日本選手が冬季最多の
     メダル10個を獲得
 3月 山一証券が101年の歴史に幕
 4月 明石海峡大橋開通
 5月 インド、パキスタンが核実験を強行。インドネシア暴動拡大。
     スハルト大統領就任。
 6月 W杯フランス大会開幕、初出場の日本は
     決勝トーナメント進出できず
 7月 ロス疑惑三浦被告に逆転無罪。
     和歌山県で毒入りカレー事件、4人死亡