昭和50年 NC旋盤1号機を設置
昭和52年 株式会社不二越の油圧機器部品 の製造開始。
昭和53年 田中精密工業株式会社の協力工場となり、自動車部品の加工開始。


飛躍の瞬間−B

昭 和 50年

NC旋盤1号機を設置

大不況の逆風の中、
社運をかけてNC旋盤を導入



導入したばかりのNC旋盤と柴田製造部長(当時30歳)[昭和50年]

 昭和48年秋の第1次石油ショックは、日本経済に壊滅的な打撃を与えた。富山県内でも、この年、企業の倒産件数は過去最悪となった。年が明けると、不況は一段と深刻さを増し、日本は初めてのマイナス成長を記録。苦境にあえぐ企業の救済策や生活物資の確保を図るため、富山県は県民生活安定緊急対策本部を設けた。
 昭和50年に入っても、日本経済に明るさは戻ってこなかった。だが、内山鉄工所はこの逆風の中であえて積極経営に打って出た。
 コンピュータ制御により刃先を管理し、これまでの手動による旋削に比べ、作業効率が格段にアップするNC旋盤を導入したのである。一度数値を設定するだけで、寸法や形状のそろった部品を大量に生産できる最新設備の導入は、富山県内の中小企業では初めてだった。
 石油ショックを機に、産業構造の高度化が進み、機械工業は品質・価格ともに競争力を求められ、企業は徹底したコスト圧縮を強いられる中で、「より良いものを、より安く、より早く」製造するしか生き残りの道がないとの読みからであった。
 しかし、それは途方もない資金と英断のいることだった。NC旋盤1台が1000万円から2000万円もし、従来機の10倍以上という高嶺の花のような機械であり、資本力の小さな中小企業への導入は容易なことではなかった。また、導入しても確実に受注が増えるという保証はなく、失敗すれば社の存続さえ左右しかねない危険性も秘めていたからである。
 内山が「社運をかけた」と今も回顧するNC旋盤「NCTL−500B」の価格は1260万円。自社資金だけではまかなえず、近代設備資金の制度融資を受けての導入だった。初めて取り扱う旋盤に戸惑いも連続し、社内技術陣はプログラミングや段取りと生産に不眠不休で当たった。
 不況に臆することなく決断したNC旋盤の導入。それは、受注を大きく伸ばすとともに、社員のやる気と団結心も生み出し、「難局に一致結束してぶつかる」という“内山スピリット”の醸成につながったのである。


導入したばかりのNC旋盤と柴田製造部長(当時30歳)[昭和50年]


第5回上市町駅伝マラソン大会に出場
[昭和52年10月30日]
マラソン大会後の慰労会で記念撮影。
中列左から窪田、内山(康弘)、筒井、柴田。
前列左はしが内山(精一)[昭和52年10月30日
]


NC旋盤で加工した軸受部品、
自動車部品、油圧機器部品

昭和50年 富山の動き

 3月 富山地方鉄道笹津線廃止
10月 国立富山医科薬科大学開学
10月 北陸自動車道の小杉-富山間開通

昭和50年 日本と世界の動き


 
2月 英保守党のサッチャーが初の女性党首に就任
 3月 英王室がチャップリンにナイトの称号を授与、サー・チャールズ・チャップリンとなる
 4月 南ベトナム・サイゴン政府が無条件降伏し、30年に及ぶ内戦終了
 5月 英国のエリザベス女王夫妻初来日。日本女子登山隊、女性初のエベレスト登頂に成功
 6月 第3次中東戦争以来閉鎖されていたスエズ運河が8年ぶりに再開。国際婦人年世界会議が
     メキシコで開幕
 7月 沢松和子、アン・キヨムラがウインブルドンの女子ダブルスで優勝。米・ソ連宇宙船「アポロ」と
     「ソユーズ」が初めてドッキングに成功。復帰3年目の沖縄で国際海洋博覧会開幕。
     世界36カ国が参加
11月 仏で第1回サミット開催